コリントの信徒への手紙Ⅰ13:1-13 2024.3.17
西澤 正文
テーマ:神の愛は決して滅びない(8)
前章の終わりに、パウロは、「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と言ってます。この時、パウロのはどんなものでしょうか。並々ならなあい重要なメッセージを話すからしっかり聞いてほしい。また「神の愛」がどういうものか、謙虚に耳を傾け、知ってほしい。更に、神の愛を受け止め、今後あなた方一人ひとりの信仰生活に応用しなさい。そのように思っていたのではないでしょうか。
異言があろうと、預言する賜物、神秘、知識に通じようと、山を動かす程の信仰があろうと、財産を貧しい人に提供しようと、命を差し出そうと、愛がなければ、騒音に等しく、無に等しく、無益である。人のために役に立ちたいと固い意志、温かな思いで一生懸命に行動したとしても、その人の自己満足に終わる。人がどんなに一生懸命努力しようと。神の愛がなかったら全て意味がない。このようなことを言っています。
ここでの愛は、人間が努力して為し得るものでなく、神の愛がなければならない、
という事です。
神の愛について、聖書では色々な個所で語っています。
・「尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」(口語訳)(ガラテヤ5:6)
・「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(ヨハネⅠ4:7-8)
・「わたしです。たちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネⅠ4:10)
■むすびとして
神の愛は、単なる相互の愛情でなく、報いを期待せず、自己を犠牲にしてまで相手を愛する愛です。私たちはキリストの愛を受けるにふさわしくない者ですが、それでもなお、キリストは愛してくださっています。私達もキリストを信じる者として、報いを期待することなく純粋な心で隣人を愛していきましょう。十字架上で私達の罪のため命を投げ出されたイエスの姿を見詰めながら歩んでいきましょう。