ヨハネの手紙Ⅰ 5:1-21      2022.6.12

西澤 正文

テーマ:イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者(1) 

 イエスがメシアであると信じる人になるには、必要なものがあります。それは聖霊です。聖霊を受けなければイエスをメシア(私の救い主)であると言えません。「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主(救い主)である」とは言えないのです。」(コリントⅠ12:3b) だれもとは、例外な人は一人もいなく、皆、イエスはメシアと言うことができない。それほど聖霊の働きが絶大であるということです。

 では、聖霊とは何でしょうか? 弁護者、助け主です。ヨハネ福音書には、イエスが召された後、聖霊が注がれると聖書に書かれています。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(14:16) 「わたしが去っていかなければ、弁護者はあなたがたのところに来ない」(ヨハネ16:7)

 事実、イエスは十字架上で召され、3日後に復活され、弟子たちのところで40日間過ごされました。そして最後の日、イエスが弟子たちに言い残されたのが次の言葉です。 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8) イエスの言われた通り、その日がやって来ました。

 「五旬祭(過越祭の安息日翌日から7週目、大

 

 

 

麦の収穫祭。ギリシャ語でペンテコステ(50日目)と言われた)。の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が… 一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2:1-4)

こうみますと聖霊は、上から与えられるものであり、生まれながら持っている、その人の能力、努力によるのではないもの、一方的に天から与えられるものであることが分かります。

 聖霊を与えられたペトロの姿は使徒言行録2:14以降別人になり力強く説教された様子がそこに描かれています。上から聖霊を送って頂き堂々とイエスについて証しされた。また、聖霊を与えられたサウロは、名がパウロに変わり、迫害者から伝道者に変えられました。 

 現在、私たちはどうでしょうか。イエスが天に帰られたペトロ達と同じ環境に置かれ生活しています。いつでも、聖霊である助け主、弁護者が送られてくる環境にあります。五旬祭の日が来て聖霊が注がれましたが、その前に、弟子たちは皆、集まって熱心に祈っていました。(使徒言行録1:14)聖霊が降るにはそれに相応しい環境があると言えます。 

 日曜日の礼拝を迎えるにもそれなりの準備が必要です。礼拝前は、静かに黙想、祈り、神、キリスト・イエスを迎える準備です。そうすればさらに強く聖霊に包まれ、礼拝中、私たちの肉体、精神を支えてくださいます。迎える準備をしましょう。