25章1-27    2020.3.22

                                                                          西澤 正文 

テーマ:私は皇帝に上訴します。(11) 

新総督フェストゥスがエルサレムでの就任の挨拶を終えカイサリアに戻ると、その翌日はもう裁判の席に就き、パウロから弁明を受けました。新総督のキビキビした仕事ぶり、また、パウロへの関心の高さがうかがえます。翌日にはパウロを呼び出し、説明を聞いたフェストゥスに対し、この時、パウロは、新しい総督に期待を寄せていたのかもしれない。 

すると、また、エルサレムからやって来たユダヤ人たちが、パウロの犯した犯罪行為を並べ立てたが、罪を確定するまでの決定的な説明はできませんでした。ユダヤ人のパウロに対する憎しみの深さがどれ程大きなものであるか、伝わってきます。 

 パウロは、前総督・フェリクスの前で弁明した「ユダヤ人の律法、神殿、皇帝、それぞれに対し何も罪を犯していません」(24:12)と、全く同じ内容を弁明しました。どうしてでしょうか? 真実なことだからです。真実は一つであり、動がし難い事実だからです。 

 しかしここで、新総督は前総督と同様、ユダヤ人に気に入られようと、「多くのユダヤ人の居るエルサレムの街へ行って、裁判を受けたいのか」と、あえてユダヤ人に気にいられるような発言を挟んだのです。 

 パウロは、ここで本心を表明します。新総督にも見切りをつけたのです。「ローマ皇帝から直接派遣された総督の前に立っているのですから、総督の前で、裁判を受けるのは当然であります。死罪に相当する悪いことをすれば、死を逃れようと思いません。しかしこの人たちの私への訴えが事実無根なら、彼らに引き渡されることはないのです。私は皇帝に上告します。パウロははっきりとローマ皇帝へ上告したいと弁明しました。このパウロの発言をお聞きしたフェストゥスは「皇帝の所へ出頭するように」と答えました。フェストゥスは内心ほっとしたと思います。それと言うのも、内心、パウロの堂々とされた姿に怖れを感じていたと思うからです。 

 

 

 

    人の関心を買うことはどういうことでしょうか。総督は時の政治家、為政者であり権力を持った地位にある人。ある時は高圧的に上から力を持って望むことが出来、また、ある時は、絶えず人の関心を買おうとする。人気があることは気持ちの良いことであり、人々を動かしやすい。意のままに社会を動かすことができ、治安維持にも繋がる。 

 しかし信仰から見れば、真理よりも人の関心を買うことに目が奪われる。たとえ真理とわかっていても、真理を守る人になれず、自分を守る保身者になる恐ろしい面が権力者にはある。目の前のユダヤ人の関心を買おうとし、またローマ政府へ自分の点数稼ぎと出世だけを考えた者が、パウロの命を左右する権力を持つのは恐ろしいことである。 

 私達が人間にだけ目を留めていたらこの世の世界しか見えない。しかしパウロの目は常に神様に向いていました。常に真理はどこにあるか捉えておられた。 

だから、パウロは新しく赴任された総督を見て、11「私は皇帝に上告します」とキッパリと言ってのけることが出来ました。それほど瞬時に、また、はっきりと自身の意志を明言できました。 

前任の総督フェリクスも、後任の総督ファストゥスも「人に気に入られようと」人の顔色ばかり伺い、正面から自分の問題に向き合っていない姿勢であることを、即刻判断できました。この敏感な判断はどこから生まれるのでしょうか。 

人の顔色でなく、神の真理はどこにあるか、絶えず真理を追い求める信仰者の純粋な目にあることを示しています。 

■むすびとして 

 新型コロナウイルス感染が拡大し、不安が増す今こそ、神の真理、御心がどこにあるのか、しっかり捉え、パウロのように神に信頼する不動の姿勢に学びたい。私達の信仰が本物かどうか、天国の神様から試されているように思います。