振り向かれたイエス 

2012年6月10日 松下道子家庭集会にて(長野県・松川町) 

西澤正文 

 梅雨入り宣言してもおかしくないどんよりした空模様の中、朝5時に清水を立ち、富士川沿いをひたすら北上すること3時間半、途中2回ほど休憩をとりながら悠々と目的地、中央自動車道松川インターに到着。人々の日曜朝の生活はスロースタートのためか、交通渋滞に遭うこともなく順調であった。インターを出てチラチラカーナビを横目で見ながら運転していると、突然霧に包まれた?「あれ、なんだろう?」と思ったら、リンゴ園の消毒のお出迎えであった。私はもちろんのこと、自動車までも清められ松下宅へ到着となった。松下様以下4名の姉たちと集会を共にした。

 

 いつもはもっと多くの兄弟姉妹が集まるが、今日はそれぞれ用事があって参加できないとのこと。集会が終わって欠席した人の家に松下姉と共に訪問し、その後松下姉を自宅まで送りインターに入り帰路についた。帰宅後夜の電話で、あの後松下姉はタクシーを呼び、もう一人の人の家を訪問したと伺った。ご高齢にもかかわらず主の僕として働く姉の姿は、只々頭が下がるばかりであった。

 

 今回、マルコによる福音書5章25節から34節に登場する出血の止まらない女とイエスについて語った。 

 

(女の生活状況)

 

この女の苦しみはどれほど深く、大きかっただろうか‥‥。女は12年もの間、女性の病気で出血が止まらず苦しんでいた。医者に通っても治らず、評判の良い医者と聞けば直ぐに駆けつけたが治らず、また新しい医者がいるとの噂を聞けば駆けつける、そのようなことを何度も何度も繰り返し生活をして来た。しかし期待とは裏腹に、訪問する全ての医者にいい様に扱われ病状はますます悪化するばかり。蓄えた金を使い果たし、処分できる財産は全て売り払い現金に換え医療費に充てて来た。しかし出血は今だ止まらず、以前より悪くなってしまった。万策尽きて困り果てていた丁度その時、この街・カファルナウムに評判の良いイエスがやって来ると言う噂を耳にした。

 

(チャンス到来)

 

イエスの服に触れる千載一隅のチャンスとばかり、渾身の力を振り絞り群衆の塊の中に突入したのだった。当時のユダヤ社会(レビ記15章)は、出血の女は「汚れた人」として徹底して避けられた。この女はもちろんのこと、女の使用した寝具、椅子にふれた人までが夕方まで汚れた人として社会から隔離されたところでの生活を強いられた。

 

女の置かれた環境は孤立無援状態である。病、生活苦、そして偏見、この3重苦を背負い、孤独に耐え続け生活してきたのである。今日では、病は難病・特定疾患による医療救済制度、生活苦は生活保護制度により生活保障の救済策は整備され、「汚れた人」の偏見は今日の医学の発達により根拠のない風評と一蹴された。

 

(振り向かれたイエス)

 

女はイエスの衣の裾にふれた瞬間流血が止まった。一方イエスはその瞬間、力が抜けるのを察知した。この時のイエスは、当時の社会の中では地位の高い会堂長、その会堂長のヤイロから息の消えそうな我が娘を救ってほしいと依頼を受け、一刻も早く娘の家へ向かう忙しい状況に置かれていたのである。にもかかわらず、である。そこに、「振り向かれたイエス」がいた。

 

群衆の中には、この女のように病、悩みから解放されたい願いからイエスに触れ、その悩みが解消され、身を隠すように静かにその場から立ち去った人が数多くいたであろう。

 

そんな中で、「振り向かれたイエス」と「振り向かせた女」、この両者が敢えて向き合う場面は、私たちに何を教えられるのだろうか?

 

(女の信仰告白)

 

蛇に睨まれた蛙のように女は、もはや他の人々のようにもはやそっとイエスから立ち去ることは出来ないと観念し、おずおずとイエスの前に進み出た。そして渾身の力、勇気を振り絞って自身の困り果てた状況、生活をありのまま話した。女はこう言ったであろう。「あなたに命を賭け、衣に触れました。その瞬間、病が治りました。」と。これは女の信仰告白である。イエスはひと言った、「あなたの信仰があなたを救った」。女への憐れみ、励ましである。あなたの信仰は泥棒のように私の力をそっと盗んで黙って立ち去る他の多くの人たちとは違う、自身の信仰に自信を持てと。イエスは敢えて人前で女に信仰告白させたのである。これがイエスの我々人間への何よりの願いである。

 

(結び:私の願い)

 

イエスは聖霊の力により、困った人の嘆き・呟きを聞き漏らさず、悲しみの目・困り果てた姿を見逃さず、この女のような命がけの熱い思いを敏感に感知されるお方である。私も女に倣い命懸けでイエス・キリストを求めたい。そして救われたら、人目をはばからず堂々と感謝したい。私たちの熱心な求め、その応答として神の御業、更に救われたことの感謝、この命のやり取りは、日を追うごとに深まると信じる。 

 

(感想)

 

□「主にあって喜びなさい、思いわずらわないでいなさい」これらの御言葉を毎朝布団の中で復唱していると、イエス様と親しく交わることが出来ます。現在85歳になりましたが、この年になって御言葉の本当の意味が少しわかるようになってきました。これからも集会に積極的に参加したいです。(前島様)

 

□昔から信仰の世界に入らなかった。聖書、賛美歌があるのに。友人から「イエス様が守っていてくださっているのよ」と言われ感謝しています。日頃の生活は忙しく、悩むことが多い中、クリスチャンが頼りとなっている。悩みをよく聞いてくださり救われています。今日のお話、大変分かり易いです。今まですんなりと読んでしまうところを、深く詳しくお話ししてくださり、行間に深い意味があることを改めて知りました。(細江様)

 

□松下様の家から近いので、松下様がよく「一緒に聖書学びましょう」と声を掛けてくださり、本当にうれしく思っています。これからも熱心に聖書の御言葉を学び、もっと確かな信仰心を持ちたいと思います。今日のお話、婦人病の悩みですので、女性の私としても他人事でなくお聞きすることが出来ました。(橋本様)

 

□本当は昨年秋に来ていただき予定でしたが、都合により初夏の日に実現でき、本当に嬉しく思います。今日、参加者は少なかったですが、みんなで集中してお話をお聞きでき、良かったです。讃美歌もたくさん歌えました。田舎ですので近所を気にせず大きな声で賛美できること、素晴らしいですね。(松下様)