24章1-27    2012.3.8

                   西澤 正文

 テーマ:私自身のことを喜んで弁明いたします。(10b)

  ローマ帝国から派遣されたユダヤ州の総督・フェリクスの前で、大祭司・アナニアがパウロを訴え、それに対しパウロが弁明しました。 

 大祭司・アナニアは、「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている。社会を混乱させ治安を悪化させ、騒乱罪に該当する者です。」と、訴えました。

  「疫病のような人間」とは、パウロが、世界のあちらこちらを訪問しキリスト教を説教していることが、感染力の強い病原菌をまき散らし、人々を病気にしている人と同じだと言ったのです。ユダヤ州(シリア州の一部に属する)は、ローマ帝国の直接統治下に入りました。それと言うのも、ユダヤ州は治安が不安定とみなされ、皇帝により直接派遣された総督が治めたのです。従って、ローマ皇帝から派遣された総督は、州の治安を平穏に維持することが最大の任務でした。治安が乱されるのは何としても避けなければならない。総督が気にする治安の悪化について、ことさら大きく取り上げ、パウロが如何に社会的に悪い人物かを印象つける訴えでもありました。 

 それに対し、パウロが弁明します。騒乱罪にあたる騒動を起こした者との訴えに対し「私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを誰も見ていません」「その証拠を上げる者もいません」 要は訴えには「何も根拠のない言いがかりに過ぎないものです。」と堂々と自信を持って話しました。このようにできたのは「私自身のことを喜んで弁明いたします。」といえるほどの心の余裕があったからです。事実の確証があったからです。事実ほど強いものは有りません。

 パウロは「疫病のような人間」と言われた疫病の原語は、ペストです。ペストは感染力が極めて強く、死に至る病原菌で恐ろしいものです。それほどパウロの伝道活動は人々に影響を与え、ユダヤ教の人々から毛嫌いされました。見方を変えれば、絶大な影響力があ

 

  

ると言うことで、パウロの伝道する力、器がいかに大きいかを示しています。

  パウロが回心する時、主はダマスコにいる弟子・アナニアを指名し、目が見えるよう、聖霊が注がれるよう告げた。しかし、アナニアはパウロが迫害の様子を伝え拒もうとしました。そこで主はアナニアにパウロを選んだ理由を伝えました。「あの者は、異邦人や王たり、また、イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」と。(使徒言行録9:15)

 疫病と言われる程、恐れられたパウロ。パウロは、人々に大きな影響を与えている人であり、また、疫病と言われる程、イエスの言葉に忠実に従った証しです。

 パウロは、3回にわたる伝道旅行を終え、エルサレムに入る前、一つの覚悟をしました。「今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」この揺るぎない覚悟亜あったため、総督の前で堂々と弁明ができました。パウロの背後に聖霊の導き、守りがありました。

■むすびとして

 弁明する約一週間前の夜、主から「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを強く証したように、ローマでも証ししなければならない。」との導きを受けました。パウロの行動は常に聖霊と共にありました。何故そのような聖霊の導きがあるのでしょうか? 神に向き合う時間、祈りの時間を大切にされるからです。

 我々もパウロに倣い、神に向き合い祈る静かな時間、そして神の御言葉が書かれた聖書を開く時間、礼拝に出席する時間、この祈る、聖書を読む、礼拝を守る、これ等三つをセットとして生活を維持していきたいものです。