フィレモンへの手紙1:1-25    2021.3.28

                  西澤 正文
テーマ:もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟として(16 )
 この手紙は、パウロの手紙の中で最も個人的な内容がかかれている。オネシモという名の一人の奴隷のことで、その主人であるフィレモンに懇願するものである。この手紙から、当時の奴隷制度、それに対するキリスト者の態度が示されている。
 パウロは奴隷制度に真っ向から反対していないが、主人も奴隷も主にある兄弟として交わることにより、奴隷制度が必然的に改善していくことを願っている。また、パウロのオネシモに対する愛……パウロがオネシモに代わり、負債を支払うという申し出は、キリストの我々に対する愛と贖いの恩恵を済めしている。
 コロサイの街に住むフィレモンの奴隷であったオネシモは、主人の物を盗み、逃亡し、ローマへ行った。そこで、オネシモはどういう訳かパウロに出会った。パウロから福音をお聞きし、信仰を与えらたのである。
 オネシモはしばらくパウロに仕えていたが、奴隷はあくまでも主人であるフィレモンの所有物なため、パウロは、折を見てオネシモをフィレモンのもとに送り出すことを考えた。しかいs、当時の奴隷制度では、主人の物を盗み逃亡すれば、殺される運命にあった。そこでパウロはフィレモンに、オネシモを主にある兄弟として赦してくれるように頼む。パウロは、オネシモが与えた損害は、自分がオネシモの代わり負担することを申し出た。そして主人・フィレモンとその奴隷・オネシモが和解することを望まれた。
パウロは、エフェソへの手紙の中で、主人と奴隷の関係について自身の考えを表している。「5 奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。 6 人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、 7 人にではなく主(神)に仕えるように、喜んで仕えなさい。 8 あなたがたも知っているとおり、奴隷

 

 

であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主(神)から報いを受けるのです。 9 主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人(神)が天におられ、人を分け隔てなさらないのです。」(エフェソ6:5-9)
 パウロは、主人、奴隷の上に全ての人を支配し、すべての人を分け隔てなく愛し、人を創造された主が天におられることを忘れてはならず、人と人との横のつながり=人間関係だけ考えず、人と神の縦のつながり垂直関係を第一として、人との繋がりを持ちなさい、述べている。人と人との関係の上に、造り主がおられる事を忘れないよう、主は万人が互いに愛し合うことを願っている、そのことを大切にしなさい、忘れないように、との願いがある。
 8 あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分の者であっても、善いことを行えば、だれでも主(神)から報いを受けるのです。 9 主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも パウロのスケールの大きな愛に圧倒される。この様な深い愛ゆえに、「オネシモがあなたに何か損害を与えたり、負債を追ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。… 私が自分で支払いましょう。」(18-19)と、いとも簡単に、ハッキリフィレモンに伝えられた。ここまで明言できる人は、少なくとも私の周りにも、見当たりません。
▢むすびとして 
  誰からも顧みられない奴隷・オネシモに心血を注ぎ、これからの人生に配慮し、育てられたパウロ。人の外面に過ぎない身分、地位、肩書、貧富を越え、神から命を受けたその人にしかない心の内に潜んでいるタラントを見詰めること、これがパウロの伝道の姿勢であったと思う。私たちも人を見る場合、外面でなく、誰もが神から与えられたたタラントがその人その人の内面に秘められていることを忘れず、互いに尊敬の念をもって交わって生きたいと思う。