サロニケの信徒への手紙二1章  2020.11.1

                                                               小田弘平
 パウロにとってテサロニケの信徒の動向が気がかりであった。なぜならテサロニケの信徒グループはパウロが文字通り心血を注いで、イエス・キリストの福音を語りかけ、信徒を育てた我が子のような存在だったからだ。ところがそのようなテサロニケの信徒たちが、迫害と苦難に遭っているという知らせをパウロは受けた。パウロはすぐにも滞在中のコリントから駆けつけたいと思ったが、事情が許さず、弟子テモテを派遣した。さらにパウロは手紙という手段で、信徒を励まそうとして「テサロニケの信徒への手紙一」(前便)を書いた。紀元50年のことである。
しかし手紙を書いても、パウロの心には迫害と苦難と闘っているテサロニケの信徒の一人ひとりの顔が思い浮かぶ。そこでパウロは追いかけるように、再度手紙を書いた。これが「テサロニケの信徒への手紙二」である。冒頭の挨拶文がこのときのパウロの気持ちを示している。前便と異なり、「わたしたちの父である神」とある。「わたしたちの」という言葉を追加した。信徒たちは迫害と闘っている「わたしたち」を支えているのは「わたしたちの父である神」であるというのだ。またお互いに対する一人一人の愛が豊かになっていることを確認している。信仰は形を求める。信仰は個人だけでは維持できない。祈り合い、共に闘う仲間が必要である。個人では迫害にも耐えることはできないという。
パウロは「迫害と苦難」について、5年後に書いた「ローマの信徒への手紙」で、神の霊によって導かれる者は、神の子あり神の相続人であると断言し、

 

 

 

    キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けると書いている。
このことを考えると、テサロニケの信徒の迫害と苦難は「ローマの信徒への手紙」を書く貴重な体験となっていることがわかる。つまりパウロが神から与えられた思想は現場から与えられたものであることがわかる。書斎から生まれた思想ではない。パウロの思想には土の香りがする。
「皆始めあり、よく終わりあるもの少なし」という言葉がある。パウロの気持ちもこれと同じではないか。パウロの話を感激して聞いた信徒たちも、時間が経つにつれ、信仰の確信が持てなくなる者が出てきたのだろう。「不法」の人物(2章)がテサロニケに入り込んでいる。目に見える迫害は恐怖であるが、目に見えない迫害はもっと恐ろしい。もっともらしい欺きの言葉で滅びへ誘ってくる。これに対し、パウロは自分が伝えた福音の真理を断固守り抜けと警告する。
パウロは福音の宣教に大きな貢献をした。信徒を指導し、福音の本質を伝えた。各教会が
直面するさまざまの具体的な相談事項についてパウロは直接口頭で、キリストの福音から警告し、助言し、指導した。遠方の場合は「手紙」を書いた。その実際的助言の中に福音の真理があった。「手紙」はパウロの活動の一部に過ぎないが、パウロの全てであると言って良い。パウロの手紙が福音書と並んで新約聖書の正典とされていることは、宣教とは具体的であることを意味している。