ロマ書9:1-33             2016.12.18

 主題:神は憐みたいと思う者を憐れむ

 □神の約束の言葉(1-18節)

  神は、以前、イスラエル出身とか、アブラハムの先祖とかの血縁関係でなく、約束により誕生する子が子孫であると言われたが、その言葉は決して効力が無くなったという訳ではない。「神はアブラハムに言われた。『あの子供(イシュマエル)とあの女(ハガル…妻・サラの女奴隷)のことで苦しまなくてもよい。すべてサラ(妻)が言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。』」(創21:12) 「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなた(アブラハム)の妻のサラに男の子(イサク)が生まれているでしょう。」(創18:10)「主は彼女(イサクの妻・リベカ)に言われた。『二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり 兄(エサウ)が弟(ヤコブ)に仕えるようになる。』」(創25:23) 

 神の憐みは、神御自身の自由な判断により、人の介在が一切できない範疇のことであって、これこそ神の特

権であり、神の神たる所以である。 

悪名高いエジプト王・ファラオの登場もまたしかりで、神の力、御名を世界に知らしめるために、神の自由

な選びによってこの世に登場し。「主はモーセに言われた。「明朝早く起き、ファラオの前に立って、彼に言いなさい。……『……今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。』実際、今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。」(出エ9:13-16) 

□人は神に抗議できない(19-24節)  

 天地万物を創られた創造主・神に向かい、神の被造物・人間は口答えできない。創られた人間は、創った神に口答えできない。同様なことは陶器師にも言える。陶器師は、自信の自由な意志により、同じ粘土で一つは尊い用途、一つは卑しい用途の器を作ることができる。 

□聖書にイスラエルの躓きと異邦人の救いの預言がある(25-33節) 

 創世記には、ノアの洪水の物語がある。地上に人の悪がはびこり人を創られたことを後悔した神は、神に従う無垢な人・ノアと3人の息子に、動物のつがいを船に乗せ40日間雨を降らせ、その後水かさが増して、1年以上に渡り船上生活を余儀なくされた。この洪水により神は世界を裁き、ノアの家族のみ生き延びることができた。 

□結びとして 

 ・神は、選民・イスラエルという特定の民を超え、全ての人々に対して、憐みを掛けることを求められる。 

・神はご自身が憐れもうと思う人を憐れまれる。徴税人ザアカイは、同胞のユダヤ人から村八分にされ無視され続けて生きた人であったが、イエスから最も深い憐みを掛けられた人であった。(ルカ19:1-10) 

 ・神は冷静であり、この世で本当に困っている人を憐れまれる。最近のニュースに、東北被災地を離れ、慣れない異邦の地(知らない人の街)に移った生徒が、移住先の地でいじめに遭う生徒が多くいることが報道されたが、もし、イエス・キリストが居られれば、真っ先にこのいじめに遭う生徒たちを憐れむだろう。