(1月) 

〇1月6~7日、徳島市で開催された冬期聖書集会に参加して来ました。テーマは「御言葉の飢饉を克服する道」。久しぶりの対面による聖書集会でした。25人程が集合しました。札幌、青森、愛媛、遠方から参加者が居ました。13時=21時 翌日9-15時 少しハード でした。旧約アモス書学びました。

 2600年前、神から羊飼いに示され預言書です。イスラエルは貴族層が民を支配し、弱者は苦しめられました。今日と変わりがありません。戦争止めなさいと予言する人現れてほしいと思いました。吉村兄「御言葉に立ち返って、イエスが弟子の足を洗ったように互いに御言葉に沿った生活をするように、祈りが大切 で、祈りが愛に通じる。」と言われました。

 吉村兄が認知症の妻の介助をしながら、また、食事の世話をされ、夜、9時過ぎ、参加者をホテルまで送られました。伝道者の姿を拝見させていただきました。奥様が食事の時、ミカンの皮まで食べてしまわれ眼を離せられないと思いました。しっかり話をお聞きし、集会が開かれていることも認識されてるようです。日曜日の聖日礼拝以外にも4集会へ出掛けられています。

 私自身、御言葉が実践できる生活をしたいと思いました。今回、健康に恵まれ、元気に参加でき感謝しています。今年も清水聖書集会は小さな集会ですが、一緒に協力し合って進めていきたいなと思います。

 

〇冬期聖書集会に参加できませんでした。友人から「冬期聖書集会に行かないのに駅まで送りに行ったので、恥をかいた思いだった」と友に言ったら、「おかしい 行かなくて祈っていればいいのに」と言われてしまいました。でも、見送りに生きましたら「見送り有難う!」と言われ嬉しかったです。

 講話の後の感話で西澤姉が、楽な方に流れない方が大事です、と言われ、私は楽な方に行ってしまうので、ああそうだな、大変なことに挑戦したいと思いました。

 神戸の震災から30年を迎えた年の元旦に、能登地震が起きました。ハウスで生活している人もいるようで、早く復興してほしいと思います。私は暖かな部屋で生活でき幸せを感じます。被災されている方々が、早く元の生活に戻られますよう、神様が常にお守りくださるようお祈りします。

私達は何もできませんが、祈ることは出来ます。被災者、被災地の一日も早く復興できますようお祈りて行きたいと思います。 

 

〇この頃、頭が思う様に働かず、目、耳も低下し、肉体的、精神的に十分でありません。少人数ですが礼拝に出席でき心から感謝しています。

 最近、イエスが活動していた地・ガザ、イスラエルで争いが激しくなっています。遠い国の事と思いますが、何故、キリスト教が起きたあの地で紛争が起きるのか? この紛争に対し世界のキリスト教信者はどんな気持ちでいるのか? キリスト教の学びは役に立たないのか? 何故、大国が争いをしているのか? それに対し国連があるのに力が発揮できていないのはどうしてなのか? これで世界の秩序が保たれるのか? 日本、中国、アジアが太平洋戦争した時の反省ある。キリスト教は何なのか? キリスト教の知識がある中で不思議に思う。今後,どちらかが反省し、戦争を中止しなければならないと思う。 私自身、乏しい知識ですがもっと早く終結し世界が平和になってくれればいいと願っています。今、私自身、戦争中止は不可能だという気持ちが起きています。こうしてキリスト教の学びをしていて申し訳ないが、世界が平和になる事を願うばかりです。

 

(2月)

〇礼拝参加の意義、夏期聖書、冬期集会に参加しました。聖書の教えを学ぶため、同信者との情報交換により自分の信仰を確かめるためです。かけがえのない時間、力を頂きました。スカイプ参加者が多かったです。現地に来られない理由があろうが、残念に思いました。五感で感じ理解することが多々あると思います。対面と機械では、伝わる情報が格段の違いがあると思います。若い頃、テレビを見て芸能人を評価しました。スカイプの参加で、10代の頃を思い出します。同世代のタレントを見て友人と順位付けをよくしました。ある日、友人がイベントでタレントと握手し、そのタレントのファンになりました。たまたま通りかかった道路で撮影していまして、生で見て格好いい!と。テレビを見て好きになったのです。聖書集会で、多くの信徒を生で見ると御力を感じます。集会も音声や機械を使用しても神に及びません。今後も信徒との交際を積極的にしていきたいと思います。  

 

〇先日、二男に「感話で話すことがないくて悩んでいるよ」と伝えましたら、「楽しく考えないと」とさらりと言ってくれました。「ああそうだな」と思いました。

 地元の「北部交流センター」と「由比交流センター」が交流し、一緒に由比ポールウォーキングに参加しました。由比は平地面積が少なく、山が迫っていますし、南は漁港があります。八千代桜が咲き、目白が飛び回っていました。ウォーキングをし始めた時、厚着をしていた人も、一枚一枚脱いで歩きました。山に登っていく途中、柑橘の新品種「はるか」が無人で売られていました。試食品も段ボールに置いてありました。登っている途中、皆、1~2個貰いました。私もはるか一つをもらいました。試食品のミカンは、誰も買う人はいませんでした。私は、あとで農家の人に悪いことをしたなと思いました。私は神様を忘れていました。人は楽な方、安易な方を向き、悪いことをした政治家と同じだなと思いました。「善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。」(アモス書5:14a)冬期聖書集会で学んだ聖書の言葉が浮かび、しばらく頭から離れませんでした。

 

〇内職の納期が迫り、集会員の中島兄の火葬に参列できませんでした。兄は、2月14日天国へ召されました。火葬場は富士山が美しく見られたとのことで、良かったなと思いました。中嶋さんともう一度礼拝を共にしたい…叶わず残念でした。天で見守っていると思います。そう思うと安心します。今、内職は月曜日から金曜日迄行っています。休みは日曜日だけです。不良品を出してしまって、昨年12月12からトヨタの内職が無くなってしまいました。1月の後半に入り内職の人から電話が入りました。「もう少し待ってください。今、こういう仕事ならあります。今までの仕事は、1年以上待てばあります」と。いつまで待てばいいのかはっきりわからず、新しい仕事を持って来てもらいました。現在、新しい内職を覚えようと必死になってやっています。挑戦しているような状況です。

少しずつ楽しくなってきています。毎日ルンルン気分です。一般の人は、朝起きて仕事に出掛けます。 会社の規則がある中での仕事は何かと大変と思います。それに比べたら私は気が楽で幸せです。小児麻痺で手が震え、仕事も遅いです。新しい内職は不安ですし、困ったなできないな、と思い事がよくあります。気持ちを入れ替え、挑戦していきたいと思っています。

 

今年に入り、体調はずっと良いです。目が余り見えませんが。ヨーロパの紛争ですが、世界では、賛否に分かれている様です。ロシアの横暴は目に余りますし、イスラエルもキリストが活躍された場所で争っています。只々悲しいです。一日も早く世界の平和がやって来ること祈っています。 ロマ8章24b-25「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」

(祈り)少ない人数ですが、あなたの御心が、全世界が、互いの主張を譲らず全世界が加わっています。一日も早い平和を実現してください。今日もあなたのみ前に静かに感謝して祈ります。

 

(3月)

〇ある人から「浜田さんの職場は人間関係が大変でしょうね」と言われたことがありました。3か月前に入社した新人が、職場の先輩から「仕事をもっとやるように」と注文がありました。私はその後輩から相談を持ち掛けられました。1カ月前、彼女は「先輩の指導が厳しい」と言っていました。私が「我々も同じだよ」と言うと我慢しました。「濱田さんは先輩の指導に対してポジティブだからね」と言われました。私、昔は悪ガキでした。今は信仰を持ち耐えています。祈って仕事に出掛けています。新人に「先輩の指導が厳しいと上司に訴えれば、あなたにまた同じような人現れるよ。今のポジション以外の場所に移れと言われる。」と言いました。

私は新人に「上司に相談はいつでも行ける。道は神が用意してくれるから心配しないで」と言いました。彼女はわたしの意見をどう受け止めるかですが、これからの私の行動を見て決めると思います。

 

〇私が今、観たいと思っているドキュメンタリー映画の紹介をします。ハンセン療養所で生活している宮崎かずゑさんです。かずゑさんは両手足の指がない。右足は膝から切断してる。少女の頃からのいじめは辛かった。重傷者は汚いなどと爪はじきにされた。死にたいと思った彼女を支えたのは、読書と母だった。母だけが毎年2度3度来てくれた。かずゑさんは療養所で軽症の孝行さんと結婚した。彼が亡くなるまでケンカをしたことがなかった。彼女は78歳の時パソコンを覚え、84歳で自伝「長い道」を出版した。今、水彩画に挑戦中。かずゑさん「ちょっとだけうぬぼれを言わせてもらえば、ちゃんと生きて来たこと。」

辛い思いをしながら「しっかり生きて来た」と言えること、大変素敵と思いました。信仰を持っているつもりですが、信仰持って生きていけたらと強く思います。

 

〇今週の20日は春の彼岸です。昨日、愛宕霊園に出掛け、森さんの霊に献花し祈りをしてきました。母が亡くなり20年以上経ちました。父から「2度と敷居をまたぐな、母の墓参りもするな」と言われ、墓に行けません。お墓は実家から5分と近いのですが。祖父母と母の弟の墓は松坂屋の裏にあり、墓参りして来ました。母と森さんのことを1日中思い出して過ごしました。墓参りもでき気持がスッキリし、晴れやかになりました。

3月31日イースター復活祭、ここで礼拝できます。中嶋兄を偲ぶ会も計画され嬉しいです。中嶋兄と一緒にいた金浜さんも思い出します。2人仲良しで話が尽きなかった。今は、2人天国で仲良く話しているのでは、また、集会の人達を見守ってくれていると思う。私はこの集会に来て、元木ナカ子姉、たみ姉、中嶋兄、金浜兄と4人を天国へ送りました。天国で幸せに仲良くされているのではと思います。

 

〇私のキリスト教との出会いを話します。樺太生まれの私は航空隊司令部に配属され、1か月後に敗戦となりました。樺太派は日本とロシアの共同の国のようでした。日露戦争後、樺太は日本領土になり多くの日本人は樺太へ渡りました。敗戦後、樺太から日本へ引き揚げて来ました。就職のため北海道へ行きました。缶詰会社に就職しました。家が漁師でしたので蟹漁業権のある会社へ就職しました。23歳の頃、蟹工場で5年間働きました。会社の計画により清水に小さな工場を買い求め出かけて行き、私がその工場で働くことになりました。

昭和33年頃アメリカ宣教師が大勢来日しました。ある日の夕方、アメリカ宣教師の路傍伝道を聴く機会がありました。会社の近くで毎晩宣教し、毎晩のように聴きました。そんなことがありグループの男子高校生徒達と仲良くなりました。私は宣教師の話を聞く世話役をするようになりました。子供とその親が集まり大勢参加しました。清水に教会堂が建てられキリスト教の仲間に入りました。

現在、キリスト教に出会って70年、天国行きを夢見ています。