ルカ7:36-50                2018.5.27
 「あなたの信仰があなたを救った。」(50)このイエスの言葉は、共観福音書の四つの内容に計7回登場する。今日学ぶ「罪深い女を赦す」記事は、ルカだけに書かれている。
 ファリサイ派の人シモンが、イエスと一緒に食事をしたいと願い出て(36)、イエスはその招きに応えられた。シモンのイエスを自宅に招く動機は、当時、名の知れた人を招き、家の誇りにしたい欲望のためであり、仲間数人も家に呼んだと言われている。女は、死人を生き返らせる力のあるイエスが、シモン家にやって来るという情報を耳にし、憚ることなくシモンの家に入った。
 女は、いかがわしい仕事に就いた人であったことは、自他ともに認めたが、この機会に、何としてもイエスに赦していただきたい、その一心でシモンの家にやって来られた。イエスの足元に伏すことが実現した瞬間、罪の赦されたことが実感でき、溢れる涙を水に代え、髪をタオル代えて拭き取られ、最後に女が所有する最上の高価な香油を塗られた。
 いかがわしい仕事に従事した女でも、罪が赦されたと直感され、流す姿は、私達が、たとえどんなに堕落しても、神の恵みによって救われるという希望に繋がる。
 「あなたの罪は赦された」(48)と言われたイエスは、罪が赦されたことを、女だけでなく、この家に集まったすべての人に確認の思いを込めて言われたのではないだろうか。 女はこの一言が大きな励みとなり、今まで抱き続けた苦しみから解放されたであろう。
 イエスは、借金をした二人が金貸しから帳消しにしてもらい、二人の内、多くの借金があった人の方が多く金貸しを愛した、と言う話をされた。(41-43) 女も金貸しから借金を帳消しにされた人と同じで、イエスから罪を赦され、罪を帳消しされたと知りし、イエスを心から愛された。
 イエスが私たちに伝えるメッセージは、愛したから、罪が赦されるのではなく、罪が赦された(原因)から、愛した(結果)のであるということです。原因と結果を反対してはいけないということ。隣人を愛すること、私たちは、自分の努力とか意思によって愛することがほとんどであろう。しかしその前に、先ず、神、イエスキリストの罪の赦し、恩恵があることを、しっかり受け止めることです。
神の前に裁かれなければならない私たちは、イエスが死んでくださったことにより、神の前に義とされ、赦される。これが愛であり、福音であり、キリスト教です。
 罪の女が、ファリサイ人・シモンから 「罪深い女なのに」(39)と、言われ続けられたが、「罪深い女であった」と、今はもう罪が赦された状態、過去形の罪とされた。それは、救主であるイエスがこの世にやって来られたからです。これこそ、キリスト教を信ずる者の最大の恩恵です。
▢まとめとして
 私達は、罪が赦された恩恵に対し、あまりにも鈍感でいるのではないでしょうか。神、イエス・キリストが身近に臨まれるよう、普段の生活の中で、神、イエスキリストに祈る時間を捧げたいと、切に願って歩みたく思う。