詩編94編             2014.9.21

 

テーマ:神よ、報復してください。

1主よ、報復の神として 報復の神として顕現し

2全地の裁き手として立ち上がり 誇る者を罰してください。

3主よ、逆らう者はいつまで 逆らう者はいつまで、勝ち誇るのでしょうか。

4彼らは驕った言葉を吐き続け 悪を行う者は皆、傲慢に語ります。

 主よ、報復される神としてこの世に現れてください。世界を裁くお方として、驕り高ぶる者を罰してください。あなたに従わない者はいつまで自分を自慢し続けるのでしょうか。その者たちは自分を過信し、大言壮語し続けます

 目の前に敵がいて、執拗に攻撃される時、堪忍袋の緒が切れて攻撃したくなる時がある。その時は、主に代わってもらい復讐をお願いする、すると心が静まる。それがキリスト者の賢い対処法、処世術である。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」(ロマ12:19) 

 

5主よ、彼らはあなたの民を砕き あなたの嗣業を苦しめています。

6やもめや寄留の民を殺し みなしごを虐殺します。

7そして、彼らは言います 「主は見ていない。 ヤコブの神は気づくことがない」と。

 傲慢な者、あなたに従わない者たちは、あなたの民を攻撃し苦しめます。やもめ、異国の人々、親のいない子供等、この世にあって弱い人々を狙い、殺します。そして、言います。「主は我々の行っていることを知らずにいる」と。

 弱い人が大切にされる社会であるかないかが、「成熟社会」であるかないかのバロメーターとなる。神は、人に見えないところで行われるどんな悪行をも見逃さないお方、「全てお見通し」のお方である。神の御力を知らない者達は、そのことを知らない人達である。

 

8民の愚かな者よ、気づくがよい。 無知な者よ、いつになったら目覚めるのか。

9耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。 目を造った方に見えないとでもいうのか。

10人間に知識を与え、国々を諭す方に 論じることができないとでもいうのか。

11主は知っておられる、人間の計らいを それがいかに空しいかを。

 主を知らず、傲慢な行動をとり続ける者は気気づくがよい。無知な者よ、いつになったら主を知るというのか。耳を作られた神がお前たちの言葉が聞こえないとでも思っているのか。目を作られた方が、お前たちを見ておられないと思っているのか。人に知恵を与え、諸国を導かれる主が、いつまでも黙って見ておられると思うのか。主は全てを知っておられる。お前たちの悪、欲望、はかりごとが如何に空しいことであるかを。

 神は御自身の目で、耳で人々の様子をしっかりと確認される。すべて事実を事実として把握したうえで対処される。神の裁きは、常に冷静であり、正しいのである。

 

12いかに幸いなことでしょう 主よ、あなたに諭され 

 あなたの律法を教えていただく人は。

13その人は苦難の襲うときにも静かに待ちます。

 神に逆らう者には、滅びの穴が掘られています。

14主は御自分の民を決しておろそかになさらず 

 御自分の嗣業を見捨てることはなさいません。

15正しい裁きは再び確立し 心のまっすぐな人は皆、それに従うでしょう。

 何と幸せなことだろうか。主よ、あなたの戒めを教えられた者は。その人は、苦しみに包まれた時でも、動揺せず、ただあなたを信頼して、平安を保ちます。主はご自身の民を決して放ったままにしません。主の正義が、人々の心に改めて認識され、社会を支配し、主を信じる人は、あなたの後について行きます。

 目の前に苦労があろうともその背後に神の深い御旨、御恵みが待ち受けておられる。当座苦しくても、その苦しみを耐え忍ぶことが大切である。耐えることも主の民になるための訓練である。苦しみの中から、神への信頼が育まれる。

 

16災いをもたらす者に対して わたしのために立ち向かい

 悪を行う者に対して わたしに代わって立つ人があるでしょうか。

17主がわたしの助けとなってくださらなければ 

 わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。

18「足がよろめく」とわたしが言ったとき 主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。

19わたしの胸が思い煩いに占められたとき

あなたの慰めが わたしの魂の楽しみとなりました。

攻撃し、危害を加える者から私を守ってくれる人がいるのでしょうか。わたしが恐怖のあまり「真っ直ぐに歩けません」と言った時、あなたは即座に御手を伸ばし支えてくださいました。私が恐怖の余り、不安に怯え震えていた時、あなたのやさしい慰めの言葉により、恐怖な心が一瞬のうちに消え、平安に満たされました。

家から出て空を見上げて深呼吸すれば、家の近くを散歩し、家々の庭先の植木、近くの山並み、空に目を向ければ、心の不安が消える。ある時、私の友人に「幸せに感じる時は、どんな時ですか」と質問すると、ためらわず「庭の草むしりをしている時」との答えが返ってきた。その時は「そんなことで‥‥」淋しい人と思った。しかし今「とてもいいな」と思う。そう答えた友人が、立派なに思える。 

 

20破滅をもたらすのみの王座

掟を悪用して労苦を作り出すような者が あなたの味方となりえましょうか。

21彼らは一団となって神に従う人の命をねらい 

神に逆らって潔白な人の血を流そうとします。

22主は必ずわたしのために砦の塔となり わたしの神は避けどころとなり

岩となってくださいます。

23彼らの悪に報い 苦難をもたらす彼らを滅ぼし尽くしてください。

わたしたちの神、主よ 彼らを滅ぼし尽くしてください。

悪人により裁きが執り行われる法廷、悪人に都合のいいように掟を用いる者が、あなたの相続人となり得ましょうか。この者たちは一致協力して、わたしのようにあなたに従う人の命を陥れようとしています。主は、どんな時も、必ずわたしの命を守ってくださるお方、わたしの岩、砦、避け所です。悪人たちの行動に対し、それに見合う罰を負わせてください。私の神、主よ、どうぞ悪人たちを滅ぼし尽くしてください。

23節は1,2節と同じで「罰してください」と、今日のテーマで結ぶ。この世にどんな不正がはびこっても、神を信じる我々は、只一途に神への信頼を強めて生活するのみである。

 

まとめとして

 神を信じない人が多い現実の社会において、キリスト者と他の人と価値観がかっきり異なり、攻撃されたり、嫌味を言われたりする時がある。そんな時「鳩のように素直に、蛇のように賢く」行動したい。そして最後は、「神よこの人たちを覚えていてください。あなた自らの御手で裁き、報復してください。」と委ねたい。