コリントの信徒への手紙Ⅰ1:1-31            2023.12.3

西澤 正文

テーマ:世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれた(28)

 イエスは、世で相手にされなかった盲人を癒し(マタイ9:27~)、貧しいやもめの献金を褒め(マルコ12:41~)、徴税人の祈りを讃え(ルカ18:9~)・徴税人ザアカイの招きに応じました。(ルカ19:1~)

 盲人は目に障害のある大きなハンディを抱えた人ですし、貧しいやもめは生活費の殆どを献金し捧げられましたし、徴税人は当時殆どが上乗せして集めていたため社会から孤立し淋しく生活する人でした。この人達は、自分の弱さ、至らなさを十分知っていて社会の片隅でひっそりと慎ましく生活している人で、イエスはこのような人々を特に愛されました。

 イエスは、ひとりで心の中に問題を抱え、誰に相談していいのか分らず、ただ悶々として悩まれる人に対し、「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われる一方で、何の問題、不自由もなくのほほんとして生活している者を相手にされません。

 

 コリント信徒の手紙を書かれたパウロは、別のところでこう言っています。「私は弱い時ほど強い」と。パウロは熱心にイエスの教え、生き様を伝道するため各地へ出掛けました。伝道旅行中は、色々な迫害、苦しみの連続でした。そのような時「私は弱い時ほど強い」と体験を通して実感されたのです。弱い時ほどイエスに寄りすがり、イエスを近くに引き寄せ共に歩まれたのです。

 頼る方はただ一人イエスキリストのみだと。このことを感じることのできる人は、ある面、充実した人生を送ることができると思います。イエスを身近に感じながら生活できれば怖いことはありません。守ってくれますし安心感が生まれますし、そのことで心に余裕が生まれ、周りの人達を愛することができます。

 人間には誇るべきものは、何もありません。私たちに与えられた良いものは、全て主より来るのであり、私たちはキリストのもの、キリストは神のものです。誇ることがあるとすれば、主(イエス)に繋がっていてのみ可能です。