ルカによる福音書15章1-10節 2025.1.5
西澤 正文
テーマ:悔改める一人の罪人は、悔改める必要のない99人より大きな喜びがある。(7)
15章にはイエスの三つの悔い改めのたとえが登場します。見失った一匹の羊、無くしたドラクメ銀貨一枚、そしていなくなった放蕩息子が見つかったたとえです。その内、第一、第二のたとえを話します。この話を聞く人は、取税人、罪人です。
先ず、見失った一匹の羊のたとえです。イエスは、迷った一匹を探し出すまでは、どこまでも徹底的に探しに出掛けられ探し出します。イエスは「迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」と言われました。(マタイ18:13-14)目の前で聞いている罪人達のために、このようにまで愛を注がれると言うことです。
迷い出た一人の罪人が、心を入れ替え神様のもとに帰ってきたら、迷ったことのない九十九人を合わせたよりも大きな喜びが天にある。神の国の喜びは、「最大多数のための最大幸福」という功利主義にあるのではなく「悔改める一人の罪人のために」湧き上がる喜びの中にあります。
次の無くしたドラクメのたとえも同様で、1枚無くしたことは10枚全部無くしたと同じ事です。神にとり1枚が、一人が、全体を指します。一人は10分の一ではない。一分の一。価値は全体と同じと考えています。
▢まとめとして
・イエスは、あらゆる犠牲を払う方です。一人、一匹、一つをどんなに大切にさ
れるか。イエスは、一部を全体と考えます。
・神にとり一人の人は人類全体と同じ尊さがあります。故に、自分自身を大切に
する人生があり、自分に与えられた使命があり、その使命の尊さを求めていま
す。
・健康、長生きは、使命を為すための必要条件でありす。私達の人生の目的は何
かと言えば,与えられた使命を果たす事です。私一人は人類全体の尊さを持ちま
す。だからイエスは、私一人を大切にされるのです。