ルカによる福音書8:4-21 2024.8.18
西澤 正文
テーマ:良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞く(15)
イエスは、「種を蒔く人のたとえ」を話されます。たとえを用いて話される理由は、不特定多数の群集の中には聞こうとしない者もかなりいるから、と。またイエスは「『聞く耳のある者は聞きなさい』と、大声で言われた。」(8)とありまが、聞く耳のある者とはどんな人でしょうか。
土地のたとえの中で、「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き」(15)とあります。イエスの言われる「立派な善い心」とは何でしょうか。神の御言葉をお聴きする前に、それなりの心の準備が必要ということです。礼拝の前もそれなりの準備が必要という事です。その準備とは、➀この世の雑念、雑事から離れ、心を整えること。②礼拝に参加するために精神を統一し、新しい気持で礼拝に参加すること。③御言葉をお聴きする前に、自分自身、素直で低い姿勢 真っ白な心で礼拝に臨むこと。このような準備が考えられます。
預言者・サムエルがまだ、少年の頃、「主よ、お話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3:9)と言いました。少年サムエルがエリと言う祭司のもとで神
様に仕えていたある夜、寝ていると「サムエル、サムエル」と呼ぶ声が聞こえました。急いでエリのもとに行き「お呼びになったので参りました。」というとエリは「私は呼んでいない。帰って寝なさい。」と言われ戻って寝ることが3度続きました。エリはサムエルを呼んでいるのは主だと考え、サムエルに「もし今度呼ばれたら『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。』と答えなさい。」と命じました。そして4度目再び「サムエル、サムエル」という声が聞こえた時、サムエルは「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております。」と答えました。聴く準備が出来ましたので、お話しくださいと言いました。その後、サムエルは、神の声を聞き人々に伝える立派な預言者となりました。
▢まとめとして
聖書の言葉に耳を傾けるのは、漠然と「聞く」のではなく、自分の方から聞こうとして耳を傾けて「聴く」ことです。聴こうとする意志がある人になることです。
讃美「この世のつとめ」賛美歌313は、私の好きな歌です。特に3番の歌詞「ちいさきみこえをききわけうる しずけきこころあたえたまえ」とあります。しずけき心を準備して、礼拝に臨みたいと思います。