マタイによる福音書17:1-27 2023.7.9
西澤 正文
テーマ:からし種一粒の信仰っがあれば(20節)
イエスは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人を連れ山に登られた。その時イエスの姿が変わり、顔は太陽のように明るく服は白く輝きました。イエスはこの時、「人々から苦しめられる」(12)その日が近いぞと告げられました。
山から下りるとある人が、イエスに近寄り訴えました。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんがひどく苦しんでいます。…お弟子のところに連れて来ましたが、治すことができませんでした」(15)
イエスは、既に、弟子たちに汚れた霊を追い出し、病気、わずらいを癒す権能を与えられた。(マタイ10:1)にもかかわらず、弟子たちは治せませんでした。癒しの業をどのような方法でおこなったらよいのか…宝の持ち腐れでした。
イエスは弟子たちに叱咤激励の気持ちを込め「いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」(17)と言われた。弟子たちは「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのですか」(19)と、イエスに質問しました。イエスははっきりと答えました。「信仰が薄いからだ」と。信仰が純粋であれば、真の信仰があれば、からし種一粒あれば、出来ないことはない、治せると言われました。
悪霊を追い出す力は、神から頂かなければできない。神に繋がらなければ、神に全てを委ね信頼し、神に繋がることのみです。
▢結びとして
イエスは、「あなたがたにできないことは何もない」(20b) 誰にでもできる、難しいことではない、と言っています。からし種程のちいさな目に見えない信仰であっても、純粋に神に委ね切る信仰さえあれば御力が与えられると言うことです。