ルカ13:18-35          2024.11.24

西澤 正文

テーマ:主よ、救われる人は少ないでしょうか。(23)

 イエスは、エルサレムに向かっている。その予告は既に「イエスは、天にあげられる時期が近づく」(9:25)と言っていたのです。エルサレム行きは、天にあげられることを指し、十字架に就く、死に行くことでした。

 「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」(23)とは、救われるものが少ないことを感じた人の問いで、今を見分けられない人(12:54-56)、仲直りのできない人(12:57-59)、悔い改めの出来ない人(13:1-5)、信じて実を実らせることのできない人(13:6-9)を指しています。 

 多くの人はイエスの叫びに耳を傾けず、その内に門は閉じられ、少数者が狭い門から入り救われ、門の中に入ることができたのです。門の外に残された人は、門を叩き、開けてくださいと願いましたが、「時すでに遅し」でした。家主のキリストは、彼らを知らないと拒絶しました。門を閉じられれば、もはやそれで終

 

わり、他に術はなしです。 

 神の国は、狭い門以外に入る途はありません。ユダヤ人であることに安心し、イエスの叫びに耳を傾けなかった人は、入ることはできません。その一方で、異邦人達は、各地から来て、イエスの福音を信じ、天国の宴に就くことが出来たのです。

 私達に置き換えれば、聖書を読み始め、礼拝出席したばかりの頃と比べ、現在はどうか?後からやって来た人の様、異邦人の様に、緊張感をもって礼拝に出席しているのか? 日々罪を示され生活しているか? 恵を感じながら生活しているか? この点を常にしっかりと顧みなければなりません。

▢結びとして

 人生は、神の国に確実に入れるよう、常に前の方で順番待ちできるよう悔い改めているか、180度生き方を変え方向転換して神に向かって生活しているか、確認しつつ歩んで行かなければいけないと思います。