ルカによる福音書9:1-36        2024.9.1

西澤 正文

テーマ:イエス「わたしを何者だと言うのか」 ペトロ「神からのメシアです」と答えた。(20)

 この聖書箇所はパンの奇跡が登場するが、数多い奇跡の中で4福音書全てに登場するのは、この奇跡のみです。

5千人にたったパン5つ、魚2匹の量でどうして腹を満たすことが出来ようか? まともに考えると大きな疑問。その点ばかりに気を取られる。こんな奇跡は信じられない、まともに読めない内容と思う。心の底で馬鹿にする人、躓いて聖書を放り投げる人、信仰を棄てる人など多くいると思う。  

 ここで注目すべき点は、イエスが神に祈られた。神に奇跡を起こしていただきたいとお願いした事です。ある人は言います。「群衆は、弟子達がパン、魚を配られたことに感激し、自分たちで用意した食べ物を隣人に与えた」と。なるほどと思いました。男が5千人、子供、婦人がいることを思えば、尚更、食べ物の用意もあったと思われる。

 私は、イエスの運命…神のひとり子として世に生まれ、一度死に、復活される事…は、全て神の計画。であれば、神にとり、五千人の食べ物の用意は大したことでなく、死ぬ前にこの程度の奇跡を起こすことは、可能であると考えます。イエ

 

スの生まれる前から決まっていた宿命を思い起こせば、パンの奇跡は有り得ると思います。

 その後、一人静かな祈りの時を確保し、そして傍らにいた弟子たち向かい「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねました。ペトロが「神からのメシアです」と答えたところ、イエスはこの答えを黙ってお聞きしました。この沈黙は、深い意味があると思います。弟子達に自問自答させ、イエスは救い主である事を深く認識させようと。

 その後、更に、弟子たちに向い、ご自身の死と復活を予告し、「ついて来たい者は、自分を捨てなさい 自分の十字架を負い、私に従いなさい」と話しました。自分の命を私に預けられるか、と迫ったのです。

▢まとめとして

 イエスは今後、苦しみを受け、殺され、復活することになっているが、私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさいと。イエスのこのメッセージは、私自身に言われていると受け止めます。私の生活を思えば、自己中心、欲の塊です。イエスの「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」この言葉が空しく響きます。自分の現実とイエスの言葉の間に大きなギャップのあることを思わざるをえません。どうしようもなく自分に甘い者を強く導いてください、と叫ぶしかありません。