ルカ12:1- 34 2018.9.16
テーマ:思い悩ぬな(22)
多くの群衆が集って来て、弟子たちは、イエスの伝道の成果に驚き、喜ぶばかりで、今後待ち受ける困難さを思うこともないため、イエスは、ここで弟子たちへ生活態度の訓めを話された。
「神に対して豊かになる者」(21)とは、「富(宝)を天に蓄えること」(マタ6:20)で、自分の財産を神のために用いること、自分の富を用いて苦しむ者、貧しい者を助けることである。人は、巨額な富を築いたところで自分の命をほんのわずかでも延ばすことができず(25)、神の御力の前では、どんな億万長者も願いは叶わない。神の前では万人が被造物、作られた人間に過ぎない。「神の前に富む者」は、貪欲に支配されず、生活するために必要最低限のソコソコの資材で十分と思える人である。物資が乏しいな、と思える程度の生活の方が、心豊かな生活できる。
昭和30年~40年代の日本は、物資が乏しかったため、物の有難味を感じて生活した。人の優しさ、情が溢れていた時代であり、今思えば、イエスの「自分のように隣人を愛しなさい」の聖書の教えに忠実に従いやすい時代、イエスの教えに包まれていたような時代であったように思う。
弟子たちは、相続に悩むほどの遺産もなく、最低限度の生活を確保することが容易でない弟子たちは自分の所有物すべてを捨ててイエスに従ってきた。弟子たちが何を食べようか、何を着ようか、と毎日の生活を心配するのは当然であるが、イエスは、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようか、と思い悩むな」(22)と言われた。
財産を「むさぼるな」、無産者生活を「思い煩うな」と言い、人の命の維持に必要なものは、必ず神が与えてくださる、と言われる。あなた方の創造主である神は、あなたがたの体と命に必要なものを与えないはずがない、と。ましてや、その身を捧げて神の国の福音に仕える使命を与えられたイエスの弟子たちに、神は体と命を維持しないはずはない、と。
一方、信仰を持たない世の人は、衣食のことに没頭している。しかしあなた方は、生活のことは神に信頼し煩うな、天の父はあなた方の生活に必要なものは知っており、必ず養ってくださる。あなた方が心がけることは、「神の国」であり、父の御国を求めさえすれば、生活に必要なものは、与えられる。
私たちは、自分のために富を蓄えず(21)、貧しい人のために施すべきである。(33)
この世の人は、自分の蓄えた財産が気になり、心の平安が乱れる。「神の前に豊かになる者」は、常に天の栄光に心を向け、信仰により思い煩わない。この世に財産を蓄える者は地のことをお思い、天に宝を蓄える者は天のことを思う。イエスはそのことを「あなた方の富のあるところに、あなた方の心もある」(34)と言われた。
▢結びとして
この世のこと、日常生活のことで心が一杯になったら、外に出て自然を眺めることが必要です。空を見て、神を仰ぎ見て、山や空、大自然を創造された主を向かい、思い切って空気を吸って、心のとりとめのない不安、悲しみを吐き出そう。無心に咲く野の花のように、自分を捨てたなら、空っぽになった心に、いつの間にか救い主が入っていてくださる。大空を仰ごう。