ルカによる福音書4:38-44 2018.3.18
テーマ:神の国の福音を告げ知らせなければならない(43)
イエスが「熱をしかりつけた」(39)のは、病をもたらすものは悪霊の仕業と知っていたからである。これは「黙れこの人から出て行け」(35)の時と同じように、イエスは悪霊に対し上から目線であった。というのも悪霊の本質、人を苦しめる存在であることを知っていたために、厳しい言葉を言い放った。
するとシモン・ペトロのしゅうとめは、熱が下がっただけでなく、体力も回復した そして彼女は「すぐに起き上がって一同をもてなした」(39)人々に必要な物は何か、と気を配った。彼女の奉仕の姿勢が素晴らしい 神は、私たちが他の人々に仕えるよう、健康を与えてくださっている 隣人を愛することを彼女は実践した 隣人愛、奉仕の精神が身に付いている人の素晴らしさを教えでくれる。
日が暮れると人々は、多くの人が病人をイエスのもとに連れて来た。(40)なぜなら、安息日だったからである。(31) 安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までであるため、人々は安息日に旅することを禁止する律法を破りたくなかった だからイエスの所に行くことを、安息日に日が暮れるまで待った。
イエスは、朝になると人里離れた山へ出かけられた。(42) 一人になり神と向き合い、静かな場所で祈ることの必要を感じたからである。常日頃から祈りの時を持っていた。 イエスの祈りは、5:15-16、6:12、9:18、28、11:1、21:37、22:39-40等、多くの箇所に登場する。
イエスの使命は、病気を癒すことではなく、あくまでも霊魂の救いにあった。病の癒しは、愛する自然の行為であるが、イエスの使命は人々の病気を治すこと以上のものを感じていたため、群衆を避けた。
イエスが祈りを終え、人里に戻ると「他の町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。私はそのために遣わされたのだ」(43)と言われた。祈りの中で、イエス本来の目的をしっかり見詰めた。そして、「カファルナウムの町を去り、他の町へ行って福音を宣べ伝えなければならない」ときっぱり言われた。
これはいったいどういうことか‥‥。イエスが神から遣わされた使命は、「神の国の福音を告げ知らせなければならない」ということである。「告げ知らせる」ということは、言葉を伝えること。私たちにとって、何か言葉を告げ知らせられることよりも、具体的に何かをしてくれたほうが良い。カファルナウムにとどまり、多くの病気の人を癒したり、悪霊に取りつかれている人から悪霊を追い出したりする方が、大切なことのように思われる。
しかし、もしイエスが、カファルナウムの町の人々の言うことを聞き入れて、この町にずっととどまり続けたらどうなっただろうか。カファルナウムの町にはまだまだ多くの病気の人がいただろう。そこで癒しのわざをし続けると、いずれ、また病気になる その癒しには終わりがない。
そのことは、私たちの近くの病院が常に満員であることを想像すれば理解できる。そのようなことになれば、結局、「イエスは優秀な町医者であった」と言われて終わる。イエスが一カ所の町にとどまれば、他の町、他の国に住む者にとっては、イエスという方は、自分たちとは無関係となる。
しかしイエスの決定は、異なった。「神の国の福音を告げ知らせる」ことが、神から与えられた使命と言われ、初心に帰られた。
🔲まとめとして
・「神の国の福音を告げ知らせなければならない」が、イエスの使命であり、福音は、イエスが三十四年間この世で過ごされた生涯の全ての
行い、御業、説教であり、四福音書がその記録である。福音書をしっかりと学びたい。
・福音の理解は、イエスがどんな時にどのような話をされたのか、どのような行動をされたのか、この理解がキーポイントである。聖書は、
神の話された御言葉、イエスの話された御言葉を中心に学ぶことである。