ルカ12:35-59 2024.11.10
西澤 正文
テーマ 腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。(35)
当時の社会は、主人が婚宴に招かれて行く時は、その宴会のために帰りは、普通常遅くなった、と言われています。
もしも、主人が宴会のある日の夜、その僕たちが目を覚し、火を灯し、腰に帯して(身なりを整えて)主人が帰れば、直ぐに戸を開いて迎えることが出来る。その反対に、僕達が、寝巻を着て、灯りを消して布団の中に入り眠ってしまうならば、主人を家に迎え入れることはできない。主人の帰りを待つ僕を見た主人は、感心し主人が僕をもてなされる。
主の再臨を迎えられる者は、常に主人を迎えられる心の準備をし、何時でも主人を迎えられるようになっていなければならない。
あなたは、今、主の再臨に供える準備は出来ているか? 何が出来るか、何が
必要か、考えて実行しなさい、と問われていると受け止めることが出来ました。少なくとも、日々の祈りの中で「主よ、来たりませ」と祈る事が必要だと示されました。何時、主が来られてもいいように、準備しなければなりません。
イエスの福音が語られる時、そこに神の国が近づいており、神の国に入る者と入らない者の区別がされる時が来たのである。福音の教えは全ての人に決意を迫る神からの危険が近づいているお知らせ=警報となります。
▢むすびにかえて
南海トラフの大地震が間近だと叫ばれ、「防災グッズ」の備えの意識が高まっている今日、キリスト信者は、これと同じように「再臨グッズ」の用意、腰に帯を締め、最も重要な戒め二つ、それは神への愛の戒め、そして隣人への愛の戒め、そして、主の祈りの暗唱、少なくともこの2つの御言葉を暗唱できるよう、時あるごとに口にする生活をせねばと示されました。