ルカ14:15-35 2024.12.15
西澤 正文
テーマ:自分の十字架(命)を背負って来なければ弟子ではない(27)
群衆が一緒について来たためイエスは、振り向いて言われた。その振り向いての意味は… それまで(15-24)天国での大宴会のたとえを話された。大勢の人が集まり飲食を共にする楽しいひと時について話された。イエスの言葉を聞いた人々は、気分も良くなり、話が終わってもぞろぞろとイエスの後について行きました。
そこでイエスは「振り向いて」とは、今までと異なることを話すぞ、と言うことです。今までは楽しい話であったが、これからは厳しい話、聞くあなた方一人一人の生き方が問われる話をするぞ、との予告でした。
大宴会のたとえでは、ファリサイ派の議員の家で食卓に着き、人々に譬話をしました。(18節)畑を買った ②(19節)牛を買った ③(20節)妻を迎えた の理由で、皆、宴会の招待を断りました。神の国の招きとこの世の楽しみが、同時にやって来た時、どちらかを選び、どちらかを捨てます。この決断により永遠の命の救いに入るか、入らないかが決まります。
イエスは、あなた方は、ぞろぞろ私の後についてくるが、私の弟子になるにはこれだけの覚悟がいるぞ、と言っています。「父、母、妻、子供、姉妹、自分の命まで憎まないなら、弟子になれない」(26)「憎まないなら」と言っています。「憎む」とは、「捨てる」ことより一段と厳しい言葉です。
イエスは、33年の地上生活を通し、母、兄弟に向かい、あたかも他人の如く接しました。 そのことにより最終的に、母も兄弟もイエスを救い主として信じ、救われる道を得たのです。
イエスに従う者になって、始めて一度憎んだ父母をはじめとする肉親、また、自分自身の命を真に愛することができます。それは、真の愛の交わりは、イエスを通して、肉親をイエスに結び付かせる真の愛だからです。
▢まとめとして
イエスの愛は、肉親内の愛にとどまらない普遍的な愛、隣人愛の隣人は全ての人を対象に愛します。その中に肉親が含まれます。イエスの愛を知った母マリアは、親子の関係を越えて、イエスの死後、イエスの弟子たちの輪に加わることができました。