コリントの信徒への手紙Ⅰ15:1-34    2024.4.14

西澤 正文

テーマ: キリストは聖書に書いてあるとおり三日目に復活した(3-4)

 イエスは紀元前4年に生まれ、紀元30年頃十字架上で召され、3日後に復活しました。復活祭は、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日です。春分の日を境に日中が長くなりますので、あたかもイエスの存在が増すことを示しているかのようです。

  パウロは、コリントの人達に一番大切な事として、以下の内容を伝えました。

  キリストが聖書の預言通り、わたし達の罪のために死なれたこと、葬られたこと、聖書の預言通り三日目に復活しておられること、またケパ(ペトロ)に、それから十二人の弟子達に、御自分を現わされました。その後、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者は、今でも生きている。もっともすでに眠った者もあるにはある。そのあと(イエスの兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。しかし最後には、さながら月足らずのような未熟な私・パウロにも御自分を現わされました。(3-8節)

 

 このパウロの話された内容ですが、復活はただの理論や理屈でなく事実に基づいています。特に、復活されたイエスにお会いした人は「大部分は今なお生き残っています。」(6)イエスが召されて30年、この手紙は56年頃書かれたのでイエスを見た人はかなりいたことは事実です。パウロは、「私は事実を話している。嘘と思うならその方々に聞いてみるがいい…」そんな気持ちが伝わって来ます。

 また、パウロは自分の事を「月足らずで生まれたようなわたし」と言っています。回心前のユダヤ教に対する熱心からイエスを信しる人達を迫害した事は、一生癒されることのない傷が心の中に残っていたと思われます。使徒として大きな働きをしたのに、自身を「一番小さな者」と謙遜する態度は、一番の迫害者であったと自覚した証しです。

▢まとめとして

  聖書に記された内容は、事実として受け止めることはキリスト者としての基本的な態度です。また、パウロの傲慢な人から謙遜な人へ返信した姿はわたしたちキリスト者の信仰の見本です。