マタイ26:1-46         2023.10.22

西澤 正文

テーマ:この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた(12)

  イエスはいよいよ明日、十字架上で召されることになっている。この箇所の中心は、香油を注ぐ女(6~13)ゲッセマネの祈り(36~46)ですが、ここでは、香油を注ぐ女について取り上げたい。

  イエスがエルサレムに近い町ベタニアに居られた時、女がイエスに近づき香油を注いだ。ユダヤの女性にとり香油は非常に大切なもので生活に欠かせない物でした。それを見た弟子たちは、無駄使いも甚だしいと映り、憤った。「もったいない」感覚は、私たちの生活の中で感じることがあります。しかし、こと信仰に関しては、自分の時間、能力、エネルギー、財産など、この女のように徹底して捧げず、適当なところで済ませたり、出し惜しんで少し取って置こうと考えたりしてしまうことが多々あります。 

  女のように自分にとり命に代えることのできない真に「命の恩人」であれば、決して無駄遣いと思わない。貧しいやもめが、全生活費を献金したように、この女も全生活がイエスに支えられているという感謝、信頼のしるしと考え、高価な香油をすべて注いだのです。

 

 私たちも、イエスの愛(福音)を強く感じた時は、イエスに香油を注いだ女の様な喜びに満たされることが出来るよう祈りたいし、また、できると確信してイエスを信じていきたい。弟子達が無駄遣いと言った価値観にとらわれず、「神が私を愛してくださった」ことが私の全てとなる信仰を持ちたいと切に願っていきたいと思います。

▢まとめとして

  高価な香油を注いだ女は、自分のために死んでくださるイエスを思い描いていたのでしょう。だからイエスさえ居てくださるなら何もいらないと考え一切のものを捧げのだと思います。イエスが十字架に架かりこの世を去って二千年、私たちは私たちのために死んでくださった十字架上のイエスの姿を心の中に刻み、救われた喜び、そして今生かされていることへの感謝を忘れずに生活しなければならないと強く思います。