マタイによる福音書15:1-20       2023.6.18

西澤 正文

1-20昔の人の言い伝え

   ファリサイ派の人達や律法学者たちは、イエスの活動が気になり、監視するために、首都エルサレムからイエスのもとにやって来て、イエスに質問しました。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」 

   イエスは、答えました。「神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。」

ファリサイ派たちは、「神殿に供え物をすれば両親の面倒を見なくても良い」という教えです。これは両親に十分な世話をしないための言い訳、口実です。神の言葉よりも人の言い

 

伝えが優先していることが分かります。神の言葉の前に、まず、人の言い伝えがあります。

神の言葉より人の言葉を重視し、本末転倒です。神中心でなく自分中心です。

 イエスは、わたしたちに、神からの直接の戒めを受け入れない結果、戒めよりも人の言伝えを大切にしてしまうと言うことを教えています。昔からの言い伝え(=伝統)は、神の戒め(=真理)を遠ざけます。

▢結びとして

 私たちキリスト者にとって、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、血力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。」の二つの教えは、律法全体を示し、イエスの教えの原点です。生活の中で迷うことがあれば、この教えに立ち返ることが大切です。日々の生活の中で迷った時、徹底して祈っていきましょう。