マタイによる福音書27:32-66         2023.11.19

西澤 正文

 イエスは、死刑場に連れて行かれ、十字架に張り付けられ、死刑執行され、墓に納められる この一連の様子が、時が流れました。 

 イエスが十字架上で息を引き取る最期の光景を見届けた群集は皆、悲しみながら家に帰っていきました。そんな中にあって、百人隊長、知人、ガリラヤからイエスについて来た婦人たち、この人たちは離れがたく、ゴルゴダの丘の様子を見ていました。

 そんな時、イエスを引き降ろし墓に埋葬しようとする人物が現れました。それがアリマタヤのヨセフでした。アリマタヤのヨセフは最高法院の議員です。心の中で、今か今かと真のイスラエルの王、真の救主の現れるのを待ち望んでいたのでした。    

 アリマタヤのヨセフの埋葬行為の意義を考えてみたいと思います。

 第一に、アリマタヤのヨセフにとり、イエスの死は自分がイエスの弟子であることを公に言い表す機会となりました。それまでユダヤ人を恐れイエスの弟子であることを隠し通して生活していました。「イエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ビラトに願い出た。」(ヨハネ19:38)

 

 第二に、イエスが墓に埋葬されたことにより、ユダヤ支配層はイエスが墓の中に葬られたことを確認したが、そのことによりイエスが復活した事実をより明確に知ることができました。

 イエスが十字架上で死亡した後、空気は一変しました。イエスを信じる人たちは「イエスは神の子である」との思いを強くしました。その一方で、イエスを敵視して来た祭司長たちは、以前、イエスが話された言葉「自分は3日後に復活する」が気になり始めた。この全く正反対の空気が生まれたのは,アリマタヤのヨセフが埋葬したいと申し出たためで、その意義は大変大きなものとなりました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     ▢まとめとして

 アリマタヤのヨセフがイエスの十字架上の最期を見て、イエスは本当に神の子であったと確認でき、勇気を与えられ、ついに信仰告白しました。私達もヨセフのようにイエスが神の御心に従い私たちの罪の身代わりとなり命を捧げられたことを事実としてしっかり受け止め、ヨセフに一歩でも近づきましょう。