マタイによる福音書25:1-46       2023.10.8

西澤 正文

テーマ:私の兄弟であるもっとも小さな者の一人にしたのは私にしてくれたこと(40) 

 24章3節からこの章の終わりまで、イエスは、オリーブ山で弟子たちを前で話されました。この章でも、2つのたとえ「10人のおとめ」「タラントン(金)」を用いて天国を語りました。

 1-13節では、主の再臨を待つこと、14-30節では、主から頂いた賜物を働かせること、これらの外に、さらにこの愛の奉仕がキリスト者として欠かせないことをイエスは語りました。

 当時の社会では、右は左より貴い場所との考えがあり、羊を右に山羊を左に置かれた。羊は山羊よりも価値があるとされた。

 キリストは王として正しい人の上にあらゆる祝福を注がれます。天国は、天地創造の時から、右側に居た正しい者たちのために備えられていて、主の再臨の時、正しい人たちに与えられる約束があります。イエスは、愛の奉仕一つ一つ思い起こし喜びを示されました。

 

 イエスは、正しい人たちの愛の行いを褒めました。しかし、当人たちは、キリストに対して、直接、何ら愛の奉仕をした覚えがなかったため、キリストの言葉を疑う程でした。

 イエスは、食べ物に困っている人、のどが渇いている人、ホームレス、一人暮らしで病気に苦しんでいる人…この様にこの世で困っている人たちに手を差し伸べた人が、「私の兄弟であるこの最も小さい者」と呼ばれたのでした。左にいる者は、名はキリスト者であっても愛の奉仕をしない人たちで、このような人たちは呪われて永遠の火に入れられると教えられました。

 再臨の時、キリストが為される審判は、キリストに対する信仰がどれ程、この世の小さき人たちに対し、愛の奉仕を為したかにより判断する、とイエスは示されたのです。

▢むすびとして

 キリスト者は、フットワーク、足を使って行動することが疎かにならないよう、病の人、孤独な人、貧しい人、仲間外れにされた人達を大切にしていきたいです。身近で困っている人に出会った時、イエスの教えが実行できるよう励みましょう。