マタイによる福音書15:21-39      2023.6.25

西澤 正文

 ガリラヤ湖周辺で病人を癒したり、ファリサイ派や律法学者たちを相手の質問に応答したりしたイエスは、静かな場所と時を求め、ひっそりと約60km離れたティルスとシドンの地方に行かれた。 すると、イエスの噂がこの地方にも流れていて、イエスがやって来たことを知ったこの地に生まれたカナンの女が、イエスの前に現れた。

  イエスに会うなり、女は叫びました。、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊(選民イスラエル人でイエスを信じない人々)のところにしか遣わされていない」と答えました。すると女はイエスの前にきてひれ伏し「主よ、どうかお助けください」と、心から哀願しました。イエスは「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」と応答しました。女に向いその子に対し子犬と言うのは、イエスと言え過激な言葉ではないか…正直思います。イエスは、女の気持、本気度を確かめたかったのでしょうか。

 

 女はめげずに「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」と、はっきり自分の気持を正直に、また、冷静になって堂々と表明されました。

 女は、最初「憐れんでください」、同情し気に掛けてほしいから「お助けください」と言われました。この言葉に決定的な違いがありました。あなたの他に私は助けていただく道がないのです。私自身の命の全てを助けてほしい、安らげる平安な心を頂きたい。質的変化が生まれているように思います。

   そして、女の心の変化を見抜かれたイエスは、最後に「あなたの信仰は立派だ。願い通りになるように」と言った時、娘が癒されました。

▢むすびとして

   女の願いは、始めは一個人の救いでした。それがあなたを信じさせてください、自分の

の命を差し出し、お任せした祈りに代わりました。この姿を世の終わりまで見習いたいと思います。