マタイによる福音書8:1-17         2023.3.19

西澤 正文

テーマ:「よろしい、清くなれ」(3)

 イエス、山上の説教が終わり山を下りました。イエスの話に感動した人が感動し後につい

てきました。大勢の人がいたその時です。その重い皮膚病を患っている人が、イエスに近寄りました。何事もないかのように「近寄り」ましたが、実際には、大勢の人がいる中、イエスに近づいのです。本人にとり命を懸けた行為です。イチかバチかの賭け、勝負に出ました。モタモタしていたら皮膚病がばれ、ののしられ、はじき出され、惨めな思いをするだけで一生棒に振りますが、近寄ることが出来ました。

 イエスの前に出た行動、ここに皮膚病にかかった人の信仰の姿があります。イエスの前にひれ伏しました。謙遜な姿勢、低い心を示しています。イエスの存在、力を知り尽くした者の姿です。「主よ、『御心ならば』」(2)とありますが、この「御心ならば」とは、「あ

 

なたなら」と言う意味で、あなたならできますという気持ちが込められています。「わたしは癒して頂ける人間ではないことは十分知っています。もしあなたがこんな傲慢なこの私をも赦してくださるというなら、どうか癒してください。」 罪の赦しを願う気持ちの表れです。あなた=イエスの御意志、御旨に適うようでしたら憐れみをください。 

 皮膚病患者は、徹底して謙遜な姿をさらけ出しますが、これしかなかったのです。イチかバチかの勝負です。長い間、苦しみ悲しみ、孤独に耐え続けた人が、イエスの前で「主よ、御心ならば」と低い、低い心で、ひれ伏した体で「お助けください」とすがり、イエスが「よろしい、清くなれ」(3)と言われ癒されました。

▢まとめとして

 イエスは、訴えをお聞きする前から分かっておられるお方。皮膚病の人のいのちを懸け

自分の全てを委ね切る信仰の純粋さ、強さが伝わってきます。イエスはこのような人を、両手を広げ待っておられます。