マタイによる福音書5:17-48       2023.2.19

西澤 正文

   イエスは、この17~48節では、律法を完成する、腹を立てる(殺す)、姦淫する、離縁する、誓う、復讐する、敵を憎む、これ等7つについて話しています。この中で私たちが最も犯しやすい「腹を立てる」ことについて考えたいと思います。

   イエスは言います。「昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」 人を殺す発端は、腹を立てることから起きます。言葉の暴力と言われる暴言から、徐々に怒りが強くなり、肉体の暴力に発展し、最後は殺人に至ります。

   イエスは「祭壇に供え物をしようとする時、自分に快く思っていない兄弟がいることを思い出したら、供え物を捧げる前に、兄弟の所に行き仲直りをしなさい。その後祭壇にささげなさい。」と言われます。

 祭壇に供え物を捧げる時とは、神の前に立つ時で、神が自分に語りかけてくださるお声を聴く時です。その時、心に神への負債・借りがあったらいけない。あることに気が付いたら直ちに借りを返さなければならない。負債の状態であるなら、神様は捧げ物を捧げて相手にされません。 

 

 

 実際に、私たちは供え物を携え、ひとりで祭壇の前に立つ時、心が改まります。日常生活から離れ、神に和らぎ、神の御心に近づこうとします。神の求められる供え物とは、物でなく和解の心、人を赦す愛の心です。 

 では、和解の鍵は何でしょうか? 十字架上のイエスを見つめることだと思います。私の罪を受け止め赦してくださったイエスの姿=瘦せ細ったイエスが手のひらにくぎを打ちつけられ、血を流し、首を垂れている姿徴を仰ぐことではないでしょうか。 

▢むすびに変えて

 人は、この世に生まれた時は、誰一人として悪人はいません。その後、いろいろな事情、生活環境により、人の言えない苦しみ、悩みを抱えながら生活する人もいます。どんな人生を歩もうとも、人間にとって、神様は救い主であり創造主です。このことを忘れなければ、人を慈しむ心まで失うことはないと信じます。