マタイによる福音書14:1-36       2023.6.11

西澤 正文

 イエスは、ヨハネが殺されたことをお聞きすると、人里離れたところへ行かれた。すると群衆が方々の町から来て、イエスの後を追いました。イエスは、心の中に拠り所となるものを持たない群衆を憐れみ、時間の過ぎるのを忘れるほど多くの病人を癒された。弟子たちが、日も傾き夕暮れになったことを告げたのを忘れる程、夢中になって病人を癒し続けました。

 イエスは、群衆に草の上に座るよう命じられました。そしてパンの奇跡を起こされました。時は、過越祭が迫り来る4月、新緑の季節です。場所は、多くの人が地方各地から集まる華やいだエルサレムでなく、ガリラヤ湖の東湖岸(ベトサイダ)で、人影少ない寂しい片田舎です。イエスは、常に人々のイエスを求める姿勢を大切にされます。人々が行き交う世の喧騒の只中で、手を差し出せば簡単に手に入れられるパンではありません。

 

    ヨハネによる福音書では、イエスが直接ご自分の手で一人ひとりにパンと魚を分け与えています。他の3福音書では、弟子達が渡しました。これは、イエスが家長として責任もって人々を養うという思いが込められていて、正にイエスがご自分の心血を注がれた「命のパン」を分け与える時と場所でした。四福音書全てに登場するイエスの奇跡は、イエスの死、復活、そしてパンの奇跡の3つだけです。イエスの数多い奇跡の中でも、このパンの奇跡のみがヨハネ福音書に登場します。

パンの奇跡は、イエスを神の子と信じるかというの大切な決断を求めています。自分の罪の赦しの経験を通し、全神経を集中しパンの奇跡を信じる事なしには信じられません。

▢結びとして

 イエスを心から信じること、確かな信仰を頂くこと、イエスを丸ごと食べる如く信じて生きること生活すること、それがイエスの「命のパン」=信仰によって生きることです。