マタイによる福音書11:1~30      (2023.5.7)

小田弘平

 旧約聖書では預言者が神の言葉を語ったが、新約聖書の洗礼者ヨハネは最後の預言活動をした人物となった。彼は預言者として人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と叫び、人々に洗礼を授けていた。一方イエスは神の福音「天の国は近づいた」と神の福音を宣べ伝え始めた。当時洗礼者ヨハネは牢に入れられたが、ヨハネの弟子たちを通じてイエスの宣教の内容を聞き、動揺した。イエスは神の子として福音を宣べ始められたからである。

 イエスの言葉「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」との言葉を聞いてヨハネは神の御業であると確信した。

 愕然とするヨハネについてイエスは「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大なものは現れなかった」と高く評価された。なぜならヨハネはイエスと同じように「天の国

 

 

は近づいた」と人々に呼びかけたからである。イエスはヨハネをご自身の「先駆者」と見られた。

 またイエスは「天の国で最も小さな者でも、彼(ヨハネ)よりも偉大である」と言われる。なぜなら、「天の国で最も小さな者」はイエスを通して「再創造」された神の子であり、神の相続人だからだ。これはすごい言葉だ。

 そしてイエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と言われる。これはどんな人でもわたし(神の子イエス)は受け入れるというイエスの宣言である。たとえあなたがどんなに重い重荷を負っていても、イエスがあなたの重荷を共に担われるという。これはヨハネも語ることができなかった言葉である。さらにイエスの許に来る人は神の栄光をも受けることになる。この言葉によって救われた人はイエスと共に人類の重荷を担う働き人にひとりにされるという。何と嬉しいことだろうか。